1993年日本にプロサッカー「Jリーグ」が始まった。私はそれまで、完全な野球少年で、サッカーに関しては「アルゼンチンにマラドーナと言う選手がいる」。それぐらいの知識だった。
しかし、テレビで初めてサッカーを本格的に見たら、展開とスピードの速さに魅了されて、一気にサッカーにはまっていった。その時の日本のエースは”King KAZU”こと三浦知良選手。そのカズ選手が1994年の夏、セリエAのジェノアへ移籍した。その時のイタリアサッカーは、当時世界最強チームだったAC Milan。選手は1994年アメリカW杯でヒーローとなったR.バッジョだった。そのリーグに日本のエースが挑戦。そして、世界最高峰のリーグはどんなものなのか、本当に楽しみだった。
セリエAのサッカーを見始め、あるチームに魅了された。超攻撃的で得点を量産、失点したら、それ以上の得点するサッカーに。チェコ人のズゼネク・ゼーマンが率いるLAZIOだった。その超攻撃サッカーのLAZIOの中心は、得点を量産するエースがジュゼッペ・シニョーリだった。
風貌は貴公子、小さな体で左足から繰り出す正確で強烈なシュート。そして、相手DFを翻弄するテクニック。また、PKはワンステップで蹴る独特なスタイル。FKで得点を決めることができ、ゾッコンしました。
そして、シニョーリ、イタリア代表のカシラギ、クロアチア代表のボクシッチの爆発的な3トップは最高で、ラツィアーレになりました。シニョーリは3度の得点王に輝きましたが、チームはタイトルを獲得することができず、1997年LAZIOから去ることに。そして1999-2000シーズン、シニョーリはボローニャでプレーをしていて、シーズン終盤LAZIOがJuveとスクデット争いをしていた時、シニョーリはLAZIO相手にゴールを決めたが、全く喜ばず、ゴールパフォーマンスも無く、LAZIOを離れてもシニョーリがLAZIOへの想い改めて知りました。
LAZIOの黄金期2000年前後のチームより、ズゼネク・ゼーマンが率いて、シニョーリ中心とした超攻撃LAZIOの方が私としては好きです。
最後に2000年のスクデット獲得はもちろん嬉しかったが、その時のLAZIOは選手層も厚く、スクデット争いの有力チームだった。そしてその後、クラブが破綻して、ロティート氏が買い取り、莫大な借金返済を返済しながらの現実路線で、コツコツを積み上げ、今シーズンの目標は、来季のCL出場権獲得だった。しかし、予想を上回る結果と快進撃でスクデット争いをしていたが、新型コロナウイルスで中断に。もし、リーグが再開して、LAZIOがスクデット獲得したら、本当に最高です。そうなるには先ずは、イタリアなど欧州の新型コロナウイルスが早く終息へ向かって、多くの方が安全で健康で普通の生活に戻って欲しいです。
【ファンが作るセリエA選手名鑑選手名鑑】
File No. 14
Giuseppe Signori
文:ごろにゃ(@shibainu0921)