僕がフィオレンティーナを応援し始めてから忘れられない試合はこれまでに2つある。
1つは本格的にヴィオラのサポーターになるきっかけになった試合。13-14のフィオレンティーナvsユヴェントス。ホームで0-2からジュゼッペ・ロッシのトリプレッタを含む4点を返して4-2の大逆転劇を演じた試合だ。あれほど興奮した試合は他にない。あの日、僕の血は紫色に染まった。
そしてもう1つがタイトルの17-18シーズンに行われたアルテミオ・フランキでのベネヴェント戦である。フィオレンティーナのサポーターにとっては、忘れようにも忘れられない試合だと思う。
17-18シーズンの開幕は酷いものだった。チームの中心的な選手を殆ど失った。ボルハ・バレーロ、ヴェシーノ、ベルナルデスキ、ゴンサロ・ロドリゲス、タタルシャヌ、イリチッチ等、絵に描いたような草刈り場だった。新たな監督と選手達のもと、大きく変わったヴィオラのカピターノを務めたのがダヴィデ・アストーリだった。
第1節はインテルにアウェーでボコボコにされた。手も足も出なかった。第2節の相手はサンプドリア。多少マシにはなったが、やっぱり負けた。それまでのヴィオラとはまるでクオリティが違った。移籍していった選手達を恋しく思った。
そんなヴィオラを鼓舞した選手こそアストーリであった。序盤こそ不安定な守備を晒していたものの、試合を経るごとにどんどん頼もしくなっていった。いつしか彼は文句無しに守備の柱となり、腕をいっぱいに伸ばして声を上げる様は紛れもないカピターノであった。そんな彼の姿に憧れた。誰よりも格好良いヒーローだった。
悲劇は突然訪れた。
2018年3月4日、ダヴィデ・アストーリが心臓発作により急死した。まだ31歳だった。
僕がそれを知ったのは日本時間で夜だった。出掛けた帰りにスマホの画面から飛び込んできた衝撃に唖然とした。実感が湧かなかった。遠く離れたチームの選手が亡くなったなんて、すぐに実感できるわけがなかった。ただ、何故か涙だけがこみ上げてきた。
彼が亡くなったことにより、ヴィオラの選手は当然試合なんて出来る精神状態ではなかった。予定されていたフィオレンティーナvsウディネーゼの試合は延期になった。程なくして、同節に予定されていた全てのセリエAの試合の延期も決まった。
元チームメイトのカルロス・サンチェスは自身の試合直後にアストーリの死の報道を聞き、その場に崩れ落ちたという。チームメイトだけでなく、敵チームの選手からも彼を偲ぶ声が上がった。
そして、深い悲しみは癒えぬ中、忘れられない一戦は始まった。
2018年3月11日、アルテミオ・フランキでフィオレンティーナはベネヴェントを迎え撃った。
キャプテンマークは弔辞をよんだミラン・バデリが巻いた。キックオフの前には黙祷が捧げられ、前半13分になると、選手はボールを外に蹴り出し、1分間の拍手が天に送られた。選手は目に涙を溜め、試合を観ていた多くのサポーターが共に泣いた。僕もその一人だった。生涯忘れることのない1分間である。
エースのジョバンニ・シメオネは最初からフルスロットルでゴールに向かった。しかし、結果に結びつかない。空回りする自分に激しく苛立ち、また、鼓舞しているのが分かった。
彼と仲の良かったリカルド・サポナーラはキャリア最高のパフォーマンスを見せた。ファイナルサードでのパス成功率は100%。チャンスメイク数も試合中トップ。アイデアと技術、この時のサポナーラは凄まじい集中力でゲームをコントロールしていた。そしてその彼が試合を決定づける一撃をアシストする。
ウノゼロで勝利したこの試合の1点を叩き込んだのは、亡きアストーリに代わって出場したヴィトル・ウーゴであった。サポナーラのCKから打点の高いヘディングで見事にネットを揺らした。
ゴール後、彼はアストーリの写真がプリントされたシャツを掲げ、彼に向けて敬礼した。
そして試合終了のホイッスルと同時に、ピッチに立っていた選手達は泣いた。
この試合の後、指揮官ステファノ・ピオリのもとで団結を固めたチームは1956-57以来となる6連勝を飾る。連勝が途切れた後も奮闘し、カンピオナート終盤までEL出場権争いを繰り広げるも、最終節目前のカリアリ戦での敗北で望みを絶たれ、燃え尽きたヴィオラは最終節ミランに完膚なきまでに叩きのめされた。
しかし、アストーリの死を乗り越えようとするチームの姿を、彼の背番号である13分に捧げられた拍手を、ウーゴのゴールと敬礼を、ホイッスルと同時に涙する選手たちを、僕は心から誇りに思い、改めて一生応援しようと思った。カピターノを失ってはじめての試合であるこの試合は、僕にとって忘れようにも忘れられない悲しみと感謝と感動の一戦である。
【忘れられないあの試合】
17-18シーズン
Fiorentina VS Benevent
1-0
Kyazu(@serientina)